限界苦学生生存報告書

生きながら学費に焼かれ

訃報のご連絡

はじめに

 はじめまして。nai_inhexの婚約者です。
 久しく更新されていなかったブログですが、みなさんにお伝えしたほうが良いかと思い、書かせていただきました。
 コメントを頂いたり、ご支援を申し出ていただいたり、心配されている方もいらっしゃるかと思いますので、彼が亡くなったことをお伝えさせていただきます。今日は彼の百箇日です。
 
 彼のブログを読んでいた方は、亡くなった理由や経緯が気になるかもしれません。
 しかしここに書き記すべきではないと考えています。
 事実はひとつ、彼が亡くなったということ。彼にご連絡いただいてもお返事をすることはできないので、それをお伝えしたいと思いました。
 ただ、インターネットという海に流すには、それ以外の背景はプライベートなことで、彼が亡くなり、話してよいか判断する人がいなくなってしまった以上、それはお伝えしないべきでしょう。
 自分について、どの程度、どのように話したいかという個人の意思は尊重されるべきで、亡くなったからといってそれを尊重しないのは、あまりにも故人に対して失礼だから。
 
「私の魂だけは私のもの。誰にも束縛されず、誰にも干渉されない。私の魂には何の肩書きもない、先祖も、王位も、教会も、父も母も、男と女すらもその色を付けることはできない。私の魂だけは」
恩田陸,2004,『ライオンハート』,新潮社.)

 

 

 私と彼は、高校生の頃からの知り合いで、お互いに一番の友人を唯一のパートナーにすることができたと言いあうような関係だったので、彼が言うだろうことは予想できるのですが、それでも、別人格である以上、あくまでそれは私の想像にすぎず、秘匿すべきだと思います。

 

私たちの兄弟姉妹、後輩に向けて
 
 このブログを読んでくださっているということは、みなさんもなんらか苦労されている方が多いのではないかと思っています。彼とは様々な話をしましたが、『家族』についても何度も話をしました。彼も私も、機能不全家族出身だったので、『血のつながりに何も意味もない』という主義は共通でした。
 例え血がつながっていたとしても、負担になるような、傷つけられるような人間関係は尊重すべきではないと考えていました。
 (もちろん、血のつながりがそのまま信頼関係や居場所になっているのなら、それは素晴らしいことです。否定するつもりはありません。)
 だから、私たちの兄や姉、弟や妹は、血のつながりではなく似たような価値観や志、想いを持つ人だと思っています。特に彼は、私よりも優しくて、周りの役に立ちたい、守りたいという気持ちが強い人だったから、苦労している人たちのためになれたらと思っていたように私は思います。だから、そんな兄弟姉妹が苦しんでいるとしたら、私はどんなに苦しくても亡くなるべきではない、ということだけお伝えしたいです。
 
わたしにはもう過去がない。だけれども、それとはべつに、わたしはわたしであることを証す記憶を棄ててはいない。たとえば傷を。たとえば痛みを。
古川日出男,2003年,「アビシニアン」,『沈黙/アビシニアン』,角川書店
 
 なぜなら、亡くなり、口をきけなくなった方のことを、世界は容易に塗り替えるから。
 あなたの死は、あなたの嫌いな人を喜ばせて、あなたの大切な人や、あなたに優しくした人を絶望させるから。
 あなたが思っていたことや、あなたという存在を望まないかたちで身勝手に書き換えられたくないなら、あなたはーいえ、私たちは生き続けるべき。情けなくてもいいから。
 
彼へ
 彼が生前どれほど苦労していたかということは、自身でブログに記しているので、みなさんもご認識のとおりだと思います。
 私は書かれていないことも彼の口から聞き、また自身の目で見て、重々承知ですが、それを前提としても、彼の人生は本当に素晴らしかったと思います。
 なぜなら、彼は本当に素敵な人だったから。
 彼が置かれた環境は、もちろん彼の責任ではないけれど、彼の人生は敷かれた道ではなく、自分の意志で模索しながら歩んできた道だったから。
 パートナーである私も、彼の友人も、地元や学校・職場などの彼が置かれた環境ではなく、彼が心底愛した書物で、自分で見出したつながりだったから。だからこそ、私は本当に惜しい人を亡くしてしまったと思っています。
 
人間だった彼を見た最後の日、彼は世界をさびしいと思っていた。珍しいことではなかった。彼はいつだって世界はさびしいと思っていた。
—私たちは一緒にすわり、さびしくなり、なぜこんなにさびしいんだろうと考え、ときにはさびしさについて議論した。
(エイミーベンダー,2007,『燃えるスカートの少女』,菅啓次郎訳,KADOKAWA.)

 

 

最後に
 本記事を、また彼のブログをご覧いただき、ありがとうございました。
 また、生前彼と仲良くしてくださった方がもしご覧いただいているのであれば、この場を借りてお礼を申し上げさせていただきます。
 みなさんの人生が少しでもみなさんにとって価値あるものに、過ごす日々が愛おしいものになることを、心から願っています。